明けましておめでとうございます。
去年のクリスマスイブに東京都心から郊外へ引っ越しました。
その記録を残しといた方がいいのかなと思ったので雑にやっていきます。
この記事のまとめ
引っ越しに際して子どもたちの作った絵や工作を捨てることにしました。
しかし超絶罪悪感がある。
それに、なんなら本当は捨てたくない!
私なりにいい感じの落とし所を見つけたので読んでやってください。
- 一人で作業する(子どもにバレないようにする)
- 捨てる前にスマホで写真を撮る
- 力作だと感じるものは残していい
- 写真を撮ったら「太郎作品集」みたいな感じでスマホ内でフォルダにまとめとく
ここまで読めば言いたいことは9割方伝わってます。目新しいこと書けなくてすみません。
あとはダラダラ書いてるので、読んでくださる方だけどうぞ。
断捨離とは
断捨離、仏教用語なのかと思ってたけど1976年に作られた言葉なんですね。
なんだよ仏舎利の仲間だと思ってたじゃん。
ちなみに持ち物を最適化するの断捨離で、最小化するのがミニマリストなんだそうです。へー。
今回の引っ越しではほとんど衣類を処分しなかった気がする。
(”ほとんど”というのは穴があきそうであいてないだいぶ踵が透けてきたグレーの靴下を断腸の思いで捨てたから。彼は私の1番の理解者でした。安らかに眠り給え。(C.V.谷口節))
これは本当に進歩だと思う。
前の引っ越しでも、その前の引っ越しでも、私は大量に服を捨てた。
自分がとんでもないバカに思えたし、世界の終わりみたいな労働環境で服を作るしかない人に対して罪悪感があった。(でも安い服を買わなかったらその人たちの仕事は無くなっちゃうんじゃないの?と言われるとどう答えていいかわかんないんだけど。ここ教養が足りてません。誰か教えてくれ。)
しかしゴミ袋いっぱいに何かは捨てたぞ。何をそんなに捨てたんだろう。
あーそうだ!子どもの作品を捨てたんだよ!!!!
子どもの作品を捨てる私は鬼か?
子どもの作品とは、保育園から持って帰ったり、自宅で作ったりした絵とか工作のことです。
長男が保育園に通いだしてから8年とか?
押し入れからごっそり作品が出てきました。
力作(私の主観で選んだ)はもちろん残してあります。
写真を撮ってgoogleフォトのアルバムにまとめてから捨てるだけで、ずいぶん罪悪感が薄れました。
ていうか、押し入れにしまってても見直さないけど、電子的にアルバムにまとめちゃえばスマホでいつでも見れていいですね。さっさとこうすればよかった。
作品を捨てる作業は絶対に一人でやってください。
子どもがショック受けるからね。
私は自分で描いた絵を捨てられるの、今でも覚えてるタイプです。
捨てるとは罪悪感との戦いと見たり
さっきの服のところでも出てきたけど、捨てるって罪悪感との戦いなんですね。
「まだ着るかも」とか、「見返すかも〜」みたいなことを考えちゃうのは、私の場合、「捨てたら悪い」って思ってるからです。
じゃあ誰に悪いの?って聞かれると、服ならカンボジアあたりの女工さんだし、作品なら子どもに悪い。
服はもう安すぎるのはなるべく買わないことにするし、作品なら電子的に見返せる状態にしとけば罪悪感は減る。はず。
そろそろ晩御飯作る時間なので今日はこの辺で失礼します。急に終わります。
さよなら。(晩飯の圧を感じながら)
ひとこと懺悔コーナー
ちなみにこれは去年買ったゴミ箱。
付属のネジで壁に固定して使えるのですが、賃貸の我が家ではうまく使えず・・・。
どういう意図でこれを買ったのか思い出せない。マグネット式と勘違いしたとか?そりゃないか。
買い物下手を発揮してしまった一品です。
こういう下手くそな買い物を減らしていきたい。